歌の感動は発声訓練とは無関係だろうか?

声楽、ジャズ、ポップス、ロック、フォーク、歌謡曲、民謡、邦楽、吟詠・・・
世界には数え切れないほどの歌のジャンルが存在している。
これらを、発声の練習が厳しく行われているジャンルと、
そうでないジャンルとに分けることができる。
前者は伝統美をもつ分野、後者は個人芸的な分野ということもできる。

発声の訓練を受けた声は、一般の人の声とは明らかに違ってくる。
訓練された歌声と素人の歌声との差は歴然としている。
しかしながら、鍛え上げられた歌手のすべてが感動的であるとは言えない。
全体から見れば、本当に感動させてくれる歌手は少数。
一方、発声など習うシステムのないジャンルからでも感動的な歌手は生まれる。
そのような歌手の声は、発声訓練を受けた歌手の声と比較すると、
不安定で荒い響きではあるが、心が声に乗るという現象は確かに起こっている。

上の二つの事実は、
「歌の感動は発声訓練とは無関係なのではないか?」という疑問を生じる。
一般的には「所詮は才能」という言葉で決着を付けようとされ勝ちだが、
それでは発声訓練の価値がないということになってしまう。
研究によって、人間の発声器官は非常に高度な楽器のような機能を備えていることが判明。

言葉を話したり叫んだり笑ったりするだけの為なら、
このような高度な発声器官は必要ない。
理論的に考え得ることは、人類の進化の過程で、非常に長い期間、
発声器官が楽器のように使われつづけたことによる・・・それ以外の理由は考えられない。

では、楽器のように発せられた声の目的は何だったか。
美しい声の目的の一つには、動物にも見られる求愛があったと思われる。
更には、人間的に芽生えてきた感情の表現にも使われたに違いない。
「本心は使われる言葉よりも、声に正直に表れる」・・・の通り、
発声器官と感情はどこかで深く結びついている

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